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目の前の友人よりネット上のともだちを優先する、Facebookユーザー。

 私はFacebookにレストランで食べた料理をアップしている投稿を見るのが苦手である。第一に、人が外食で何を食べようが、こっちにとっては極めてどうでもいい話である。いったい食べた食事の画像をアップすることで何を伝えたいのか。羨ましがってほしいのかも不明だが、少なくとも私はまれにちゃんとした食事を食べる機会があろうと、それを人に羨ましがってもらうために、写真をネットにアップしようとは思わない。だが、そもそも何千円のイタリアンを食べようが、そのくらいで特に羨ましくもなかろう。

 私がFacebookにレストランで食べた料理をアップしている投稿を見るのが苦手な理由はもうひとつある。それは、その人がレストランで一緒に食事をしている人をよそにスマホで料理を撮影している姿を想像してしまうからである。相手の人にすれば、自分と会話をすることよりも、いまここにいない誰かからFacebook上で「いいね!」をもらうことの方が大切なのだろうか、と思ってしまうのではないか、と考えてしまうからである。

 この間もある人と飲んだらずーっとスマホで何やら打っている。何か来た、とかいってずっと応答している。特に緊急性のある用事でもなさそうだった。だが目の前の私よりもLINEかFacebook上の誰かのほうが気になるから、私と別れたあとに応答しよう、ということにはならないのだろう。

 だが、それではFacebookで何を投稿すればいいのかというと、政治的な主張は角が立つし、公務員や堅い企業に勤めている人は仕事の内容を気軽に書くわけにもいくまい。かといって子どもの画像もセキュリティ面の問題や、子どものいない人に見せるのはどうなのだろう、と考えるときりがない。

 要するに私は無差別的に一度会っただけの知り合いにも含めて近況を送りつけるFacebookというメディアが苦手でもてあましているのである。実際、最近は自分ではほとんど投稿しなくなっているのだが、昔の知り合いから友達リクエストが来るとやはり承認してしまう。だがその友達リクエストにしても、なんのメッセージもなしに送りつけられてくるし、承認すると、今度は大して親しくなかった別の共通の知人を紹介してきたりする。やはりFacebookは苦手なので、距離を置いて適当に放置したい、と考えているのが実情なのである。

About 俵はるぞう (9 Articles)
あちこちの媒体に執筆する謎のフリーライター。このペンネームは本ブログのための仮の姿だという噂も。