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vol.10「ラッシュはつらいよ! 時代は変われど変わらぬ満員電車のストレス」

 ひさびさに朝の通勤ラッシュを体験。高校生のころは毎朝、満員電車に乗って通学していたが、あのころに比べればずいぶんマシになったのだが……。

 あの1970年代の通勤通学の混雑ぶりというのは、とにかくすごかった。埼玉県の郊外から都心に向かう電車の話だが、ギュウギュウ押されて1時間かかって、ターミナル駅に着いた時には人の圧力でドアがなかなか開かないほど。真冬でも厚着のままだと汗びっしょりになるほどの重労働だった。クラスメートは違う路線だったが、やはり殺人的な混雑で有名な路線で「カバンからしばらく手を離しても、落ちずに同じ位置にあった」などといって、混雑ぶりを自慢しあったくらいだ。

 およそ40年後の都会の通勤ラッシュは、鉄道会社の努力の甲斐あってか、乗客同士が体を押し付け合うほどの混み方はもうない。人の移動データを調査したうえで適切に停車駅を設定し、各駅停車から準急、急行、通勤快速だのと列車の種類も豊富になったし、本数自体も増えた。郊外の宅地開発がますます進んで駅の数が増え、利用客も増えたはずだが効率よく運ばれているのだろう。

 ドアの近くは今でも相変わらず混雑する位置だ。ところがドアから奥、長い座席が並ぶ通路部分中央は、ラッシュ時なのにけっこう空いていて、立っているのは座席の前でつり革をつかんで窓の外に向いて立っている列だけだ。通路の中央にはほとんど人が立っていないのに、その隙き間に余裕がなくて入りづらいのは、目の前の座席に座っている人と距離をとり、中心に寄って立っているからだろう。

 昔のラッシュは、座っている人と膝がぶつかるくらい前に押し出されていた。つり革がぶら下がっている位置よりも窓側に体が押し出されてしまい、着席の客に覆い被さるようになって窓に手をついて、背後から押して来る人の圧力を支えなければならなかったほどだ。

 通勤ラッシュというのは、客同士の体が“おしくらまんじゅう”のように密着するのが当然の、子どもや女性には悲惨な乗り物だった。実際、痴漢被害も多かった。その一方で子どもや女性の近くに立った善良なる男性客は、他人であっても彼らが押しつぶされないよう守ってやるような気持ちがあったと感じる。みんな我慢強かったし、少なからず他人をいたわる気持ちや譲り合う気持ちが当たり前だったと思うのだが……。

 混雑が緩和された現在の通勤列車。快適に利用出来るかというとそうでもなくて、余裕ができたら出来たで、他人のことなど顧みないユトリ的マナー違反が横行する。混雑してきても、背中のリュックを降ろそうとしない人。奥が空いていても、自分が入り口付近にいたいからと、奥に詰めないばかりか道を塞いでいる人。昔ほど混まなくなって、人との距離を取れるようになったのは良いことだが、周囲に気を配らない人も増えてしまったと感じるのは筆者だけではないはずだ。それともジジイの域に達しようかという歳のせいなのだろうか。大半の人がスマホの画面に無中で、まわりのことに関心がない。それもまた、他人とのトラブルを避けるための術なのか。

 まわりのことに気づかない「ふり」をしているのかと思うが、本当に気づいていないようなのだ。だから間隔を詰めなければならないほど混んできても、ちょっと動いて体や荷物が触れただけで「何なのよ」みたいな目つきで不快感をあらわにする女性は多い。男でもそういう神経質なヤツも増えた。混んできたんだから詰めてくれと思う。

 車内放送で「列車の中ほどにお詰めください」とか、「背中のお荷物は他のお客様のご迷惑に……」などと呼びかけられると、少しは気づいて呼びかけに従う客もいるから緩和するのだが……。昔に比べたら体力を消耗するような肉体的ストレスは減ったけど、わずか30分ちょっと乗っていただけで、なんだか殺伐としていて言葉をかけ合うこともなく、妙に気疲れしてしまった。

樋口琢生
About 樋口琢生 (29 Articles)
東京生まれ。1989年より早稲田編集企画室ルポ班に在籍。週刊誌記者、ガイドブック編集、単行本制作などに携わる。登山、キャンプ、カヌー、自転車などアウトドア全般が趣味。