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─臓器移植ガイド─ [14] 5. 脳死移植の現実と対峙③

 麻生はなぜか安心した。

 それにしても、脳死といえばほとんどが交通事故などによる頭の障害を持った者という先入観が世間にあり、気管支喘息患者の脳死に気づいたのは自分が最初と思っていただけに、微妙な別の驚きがあり、胸騒ぎは鎮まらなかった。

 この所長は、「最初の脳死移植のドナーを自分が出す……」と言ってはばからず、自分が患者をプレゼントすることに異常なこだわりを持って、何年も前から危なっかしい外科医たちのために臓器提供患者を用意していた。

 だからテレビニュース記者の中にも「またかという気もする」と述べる者もいた。麻生も同じ思いだったが、どこかに「今度は脳死段階での移植を強行するのではないか」という予感のようなものも残った。

 テレビは、心停止前に肝臓を取り出すかどうかの一点を注目していた。移植をやろうとしているのはQ大なのだが、イニシャチブは完全にSセンター所長が握っていると麻生には感じられた。この所長はつい数ヶ月前にも交通事故死の患者から脳死状態で臓器を摘出し、国立H大移植チームに肝移植させようとしていた。しかし、警察の検視が心停止後に行われるために、一部法学者がマスコミの取材に、「強行すれば傷害罪に該当する」との見解を示したことで断念していた。

 1990年に発表されたアメリカだけの実績でも、心臓1687件、肝臓2188件の脳死移植が行われている。しかし脳死移植が認められていない日本では、人工呼吸器で生きながらえていようとも警察は事故死、変死については従来どおり死の三兆候にこだわり続けている。

 結局は法制化しなければ社会に認められないとして、脳死移植を推進したい患者団体や外科医団体などが政治家を動かして政府に働きかける年月があり、まず厚生省が「脳死に関する研究班」をスタートさせ、アメリカに11年遅れて1985年に日本初の脳死判定基準(竹内基準)ができた。①深昏睡、②自発呼吸停止、③瞳孔の散大と固定、④脳幹反射消失、⑤平坦脳波……、以上5つの条件を満たし、6時間後にも変わらない。

 脳死を死と認めない意見の根拠に植物状態からの蘇生があるのだが、植物状態では自発呼吸する人も多く、外界からの刺激に対しても反応する場合があり、脳幹機能の一部が残っていれば、稀に回復することもある。

 一方、脳死では自発呼吸なし、意識ゼロ、脳幹機能はすべて不可逆的に停止、よって回復の可能性ゼロとなるわけで、脳死判定基準は植物状態ではないことを証明する基準とも言える。

 その後も政治的な動きは遅々として進まなかったが、やっと政府の脳死臨調(臨時脳死および臓器移植調査会)が活動を始め、1991年7月には中間答申を、そして’92年1月には最終答申が出された。

「『人の死』についてはいろいろな考えが世の中に存在していることに十分な配慮をしつつ、良識に裏打ちされた脳死移植が推進され、それによって一人でも多くの患者が救われることを希望するものである」

 答申はこう結ばれていた。先の脳死判定・竹内基準を妥当とし、それによって判定される脳死を「人の死」と認定したといってよい。

 これを。脳死移植を一刻も早く実行したい大学医師などは「脳死臓器移植OK」と解釈した。

 厚生省も脳死での臓器移植を行うことを認めた施設を選定した。肝臓10施設、心臓8施設だった。ところが、それからも約2年間、脳死移植は一例も行われなかった。

 反対派からの告発を恐れるムードこそあったものの、もっと大きな世論の支持がないことを政治家同様推進派の医師たちも察知していたからといわれている。

 だが彼らは何もしていなかったわけではない。ドナーが出るたびに移植実施施設に指定された医療機関(移植チーム)では、いつでも移植手術ができる「準備・検討態勢」つまり臨戦態勢に入っていた。

 血液型不適合、心停止後の検視を求める警察の壁、病院(大学)の倫理委員会の「NO」が強行を断念させてきたに過ぎない。

 多くのチームリーダーの考えはこうだ。

「検視が不要なドナーなら、脳死移植を実施することも可能なはず」

 移植医はいつでも強行する気になっていた。

 だが、肝心の脳死者が出るのは確率的に救急施設が多かったが、救急施設の8割が、
「立法前にはドナー提供に協力しない」態度を表明していた。

 その中でSセンターは移植医にとって非常にありがたい、積極的にドナー提供をする救急施設の最先鋒だった。

 麻生が「日本で最初に脳死移植を実施するとき、ドナーを提供するのはSセンターだ」という噂を聞いたのは一度や二度ではない。

(「5. 脳死移植の現実と対峙」おわり。「6. 誰の目にも異常な医者」へつづく)


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About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。