─臓器移植ガイド─ [7] 3. 恩師と生涯の友を得た大学③
〜これまでのあらすじ〜
麻生芳人70歳、10年前まで救急医療センターの長だった。麻生が45歳で南東北救急医療センターの前身だった公立病院の副院長になった冬、仙台の学会に行くという旧友の中田秀雄が麻生の家に泊まることになった。中田は、麻生に医学部進学を薦め、麻生の人生を決定づけた親友だった。実家が東京の胃腸科病院だった中田もアメリカ留学後ずっと陽の当たる場所を歩んできたが、教授に疎まれ自ら大学を飛び出して以後、民間病院で臨床に当たってきた。そんな中田との久々の再会で、麻生はかつて自分が大学の医局で研究に没頭して過ごした日々とその後の数奇な運命を思い返すのだった。
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3. 恩師と生涯の友を得た大学
互いの新婚家庭も歩いていける距離で、さえ子と美弥が意気投合したため、休みにはアパートを訪ねあって食事をし、飲んだ。麻生と奥井は一日のスケジュールもほとんど同じで、患者を診て、手術をこなし、実験に励み、一緒に飲み、東浦を挟んで議論を戦わせ、ときには一緒に医局に泊り込んだ。
東浦が助教授を飛び越して40歳で教授に推され、消化器の第2外科を新設した。1950年代創設以来初めてのO大出身教授であった。その昇任は麻生たちが夢中で取り組んだ研究成果によるところが大きかった。
その代わりに麻生と奥井は東浦から、臨床でも際立った能力を授けられていたため、自然な形で医局は二人を中心に動き始めた。
東浦が臓器移植の行われる日に備え、文部省の予算をとって医局員をアメリカの大学に派遣することを決め、先頭バッターに麻生と奥井が揃っていくことになった。あのときの心の昂ぶりを麻生はいまも忘れない。それは東浦に絶対的に信頼された証拠だった。
「君たちががんばってくれたから若手も育った。二人が留守でも全く心配のない体制ができている。あとは君たちが将来の目標を探す番だ」
移植分野はすでに視野に入っている最大の目標に違いなかった。それを学ぶ海外留学に、中田と違う意味で麻生が無条件で頼れる奥井と一緒に行ける。しかも2年の予定で、家族を同伴できるという夢のような話だった。
パスポートも揃え、いよいよ3日後に日本を飛び立つという夕方、麻生は大学のトイレで激しい頭痛に襲われて意識を失った。クモ膜下出血だった。東浦の原稿の代筆、学会で発表する研究のスライドづくり、その他もろもろをスムーズに引き継ぐために徹夜の連続だった。疲労が蓄積し血圧も上がっていたに違いない。
麻生がかろうじて命をとりとめて意識を回復したころ、奥井とナンバースリーの医師がアメリカに出かけていった。それを知ったときは激しい怒りに我を忘れたが、右手右足に軽い麻痺があることを自覚したとき、ストンと虚脱し、喪失感の中から再起した。
麻生は自分に言い聞かせた。
「まだ研究はできる」
若かった分、前向きな気持ちだった。
倒れて麻生はさえ子の意外な面を知った。控えめで、一人では何もできない女と思っていたのだが、担当医や東浦、そして福島の実家と話を進め、自分はS県を退職すると、自ら自動車を運転して麻生と健一を実家に運んだ。薬局店とは離れた住宅街に建つ実家は、部屋数もあり、両親だけだったために、心から暖かく迎えてくれた。
そこでさえ子は毎日麻生を地域の温泉つきリハビリセンターに連れて行った。母親が預かるというのに、さえ子は必ず健一を伴い、麻生はさえ子の気迫に押されて、健一を見ながら黙々と訓練を重ねることができた。
リハビリのペースをつかむと麻生の気持ちに大きな変化が生まれた。どこかで吹っ切れていなかった移植医へのこだわりが消えたのだ。その代わり、さえ子に甘えるようになった。健一とともにさえ子の胸に抱かれ、日に何度も急にさえ子を抱きしめてキスをした。
「どうしたのあなた。なんだか変」
「さえ子が好きだとわかった」
「やっぱりいまごろ……ね。あなたは何で私と結婚したんだろうって思ってたの。でもこんな日が来るのがわかってたような気がする。ちゃんと言ってくれてありがとう」
さえ子の目が潤んで麻生は動揺した。
あのとき、ふつうの開業医になる選択肢もあった。
(「3. 恩師と生涯の友を得た大学」おわり。「4. トルサード・ポアン」へつづく)