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─臓器移植ガイド─ [3] 2. 脳死臓器移植がやってきた①

 〜前回までのあらすじ〜
 麻生芳人70歳、10年前まで救急医療センターの長だった。下町生まれの麻生の人生を決めたのは、都立高校時代の親友、中田秀雄の医学部を薦める言葉だった。麻生はその気になり東京の新設国立O大医学部第2外科(消化器)の医局に進んだ。一方、実家が胃腸科病院だった中田は、関西の旧帝大医学部へ。循環器の医局に入ってすぐアメリカ留学、帰国後ずっと陽の当たる場所を歩んできたが、教授に疎まれ自ら大学を飛び出した。それ以後、東京の外資系民間病院で臨床に当たっているが、専門家の間で知名度は高かった。麻生が45歳で南東北救急医療センターの前身だった公立病院の副院長になった冬、仙台の学会に行くという中田が麻生の家に泊まることになったが……。

2. 脳死臓器移植がやってきた

「おーい、アメリカの叔父さんがいらしたぞ」
 麻生は中学生になった健一の部屋に声をかけた。さえ子がなつかしそうに迎えた。

 アルバムの最初の写真を見ながら健一が納得する。
「そうか、この写真はアメリカで撮ったのか」
 中田の家の庭で撮った写真で、中田と奥井、麻生の家族のほかに中田の両親、そして中田の妹の家族まで映っていた。その中心に生まれたばかりの健一を抱く中田がいる。

 あわててさえ子が訂正して全員が笑った。

 表情も声も柔らかい中田のおしゃべりでリラックスした健一は食後も中田の話を聞きたがった。

「おじさんも心臓の手術やるんですか」

「いや、おじさんは外科手術はしない。健ちゃん、心臓の医者がみんなメスで心臓を切ると思ったら時代遅れだぜ。いまは心臓の病気のほとんどをおじさんたち内科医が治せるんだ。手術でなきゃ治せない病気でも、外科医はおじさんたち内科医のアドバイスを聞きにくるからね。

 だから外科の医者たちは心臓移植をやって自分たちの地位挽回をはかろうと一生懸命……。これは冗談だけどさ」

「おじさんは臓器移植には反対なんですか」
 たまに家族で話題にしていたために、健一はすかさず聞いた。

「移植には大賛成。でも、日本の医者が今のままだととても心配で、特に法律で移植を認めることにはなお賛成しにくいというのがおじさんの気持ちなんだ。

 どういうことかというと、たとえば心臓を診るお医者さんたちの循環器学会というのがあるんだけど、ここは移植賛成なの。だけど反対の人もいるのね、堂々と名前を出して、なぜ反対なのか考えを発表したりしている。それを学会は呼んで聞くこともせず、名指しでけなすか無視するだけ。反対の人は仲間はずれにしてしまおうという考えが露骨なの。

 それに大学などで教授とか偉い人が間違いをしでかしても、誰も文句が言えない。なにしろ出世から研究のテーマまで、医局制度の中では親分である教授の思いのままだから、仕返しが怖いんだ。

 ほかの医者の批判も日本ではタブー。日本の医者は見て見ぬふりをするようにしつけられているのね。あえてそれをやる医者がいると、仲間はずれにして、出世の道も閉ざす。これは日本の医学界の伝統なの。

 その体質は病院でも学会でも医師会でも同じなんだ。普段もかばい合うけれど、本当に悪いことをしても目をつむるだけ。だから医者の世界では間違ったことが起きても、下の医者や看護婦さんは、それを指摘したりすると病院を追い出されてしまうから、何も言えない。残念ながらそれが現実。

 臓器移植って大変なことでしょ。守らなければならない約束がたくさんあって、それを破ったり忘れることが必ず起きる。どんな名医だってミスすることがある。

 アメリカの場合も、ものすごくたくさんのルール破りや事故、失敗があったんだよ。それを隠そうとする人たちもいたかもしれない。でも日本と違って、あれはルール破りだ、失敗だと指摘する人が大勢いたし、ウソがつけない体制もできていた。

 その根本には、だれが誰を批判してもいいという風土がアメリカにはあったということなんだ。下っ端の医者や看護婦さんでも、偉い教授だろうが病院長だろうが、間違いを犯せば、それを指摘してもわりと平気なのね。これは内部告発とも言うけど。そのおかげでほとんどの移植する医者がルールを守るようになったんだと思うよ。

 内部告発ができない日本はどうだろう。法律で移植してもいいと決めるだけだと心配でしょ」

「どんな心配があるんですか」

「『治る者も殺してしまう』と言う人さえいる。それも含めていろんなことが考えられるね。

 別の人の命を助けるんだから脳死移植はいいことなんだって思っている医者の中には、いままでより脳死の人の治療を熱心にやらなくなる人が出てくるだろうね。もっとエスカレートすると脳死でもない人の治療を途中でやめてしまう医者も出てくる。脳死の判定基準はあるけれど、病院や大学って密室だし、無関係な別の病院などの医師が判定するといっても、抜け道があるみたいだよ。

 恥ずかしいことに、昔、北海道の大学の心臓外科の教授が、日本初の心臓移植をしたんだけど、心臓移植をするために地位を利用して、死んでいない人から心臓を取り出したんじゃないかって疑われた。そんな例もあるくらいなんだ。

 いま僕の身近の心臓外科医の中にも、心臓移植ができそうな患者がいたらどうやって脳死判定を早めるかの勉強を仲間内でやっている奴がいるからね。もっとひどい医者は故意に患者にダメージを与えて脳死にしてしまう……。つまり殺しちゃう可能性だってある。

 医者は立派な人が多いのは確かだけれど、どの世界にもキチガイがいるんだ。そのキチガイは、医学の発展にとって自分は正しいことを行っていると信じている。確信犯というやつ。そんな医者は不思議に罪悪感に苦しまないから始末が悪い。移植をめぐっては、きっと、もっともっと信じられないようなことをやる医者が出てくるだろうね」

 脳死は、1960年代に生命維持装置として人工呼吸器が実用化されて出現した「新しい死」だった。従来の死は心臓停止と呼吸停止を条件にし、開きっぱなしの瞳孔を加えて死と判定し、「死の3兆候」と呼んだ。

「ところが人工呼吸器で心臓や肺が動き続けることで様相は一変した。3兆候を備える死とは、脳への血流が途絶え、脳が死ぬことで起こる。しかし、死後時間をおかずに人工呼吸器を装着すると、脳の機能は戻らないが、首から下の血液の循環は保たれ、生きている状態と変わらずに臓器は働き続ける。これが脳死だ。

 欧米では脳死を人の死と認定して、脳死者の臓器の活用をはかるようになり、1970年代から脳死臓器移植が定着した。しかし、日本では1990年間近のこのときでも心停止で死を確認するため、死後数時間の猶予がある腎臓については移植が行われているが、脳死段階で取り出して移植しなければならない心臓、肝臓の移植は行われていなかった。

 3兆候とは無縁として、肉親などの肝臓を移植する生体肝移植は一部でなし崩し的に始められていたけれど……」
(つづく)

久保島武志のほん
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About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。