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─臓器移植ガイド─ [12] 5. 脳死移植の現実と対峙①

 ’93年3月末の木曜日午前3時過ぎ、入院中の患者の脈が弱くなった。麻生は一時退出させた家族を中に呼ぶように指示した。患者はまだ21歳の学生で、買ってもらったばかりの車を飛ばして事故を起こし頭を強打した。麻生の目から見ると驚くほど若い両親が枕元で患者の名前を呼ぶ。

「何か言って!」

 母親が悲痛な声で叫ぶ。激した彼女自身が苦しげに咳き込み、父親が背中を抱きかかえる。強心剤の点滴を続けているが血圧は下がりきり、心電図もフラットになった。脳死状態を一週間維持していたが、人工心臓など一切が父親の要請で外され、予定通りの時間に死亡宣告することができた。

「ご臨終です」

 麻生が声をかけると母親は泣くのをやめ、息子から顔を離したが、突然死者の頬を激しく叩いた。あわてて父親が抱きとめる。いやいやしながらなおも息子の胸を叩き、肩を揺さぶり、名前を呼び続ける……。

 麻生は錯乱した母親が、約束を撤回するのではないかと憂鬱な気分になった。いま死んだ青年は優しいところがあったらしく、成人式を迎えた記念にドナーカードにサインしていた。まさかそれから一年で効力を発揮するとは夢にも思わなかっただろうが、両親は助からないことを頭で理解すると、息子の気持ちを尊重することで納得していた。

 腎臓にもダメージが無いことが確認され、その段階で血液型の適合作業が行われ、死後取り出しても移植に間に合う腎臓2つはそれぞれ別の大学病院に入院する2人のレシピエントのもとに運ばれることになっている。その他、角膜ほかも移植に供することになっている。

 話がそこまで進められているとは知らない肉親が、土壇場で「提供はやめたい」と言い出すことだってあるだろう。そのときには臓器を受け取る各大学のスタッフに大変な迷惑をかけることになるが、麻生はそんなことさえ期待していた。患者の体が切り裂かれ、肉親がその姿を見ないとは限らず、そのときの愁嘆場を考えると胸苦しかった。

 移植コーディネーターの医師が手配した地検の医師が到着して検死を始めた。次いで腎臓を摘出すべく、消化器外科医が手配済みで、2つの大学からもスタッフがこちらに向かっている。あとはこのコーディネーターが最終的に遺族の承諾を取り付けるだけだ。

 麻生はこの医師とともに母親の泣き声の聞こえるカウンセリングルームに入った。医師は何も言わず、丸々と太った体を小さくし、承諾書を父親の前において頭を下げたままジッとしている。父親は母親にたずねた。

「いいんだね」

 一瞬間があって母親は小さくうなずいた。麻生は自分の生唾を飲み込む音を聞いた。

「本当にいいんだね?」
「だって、あの子、ドナーカードをあたしに見せたの。ほかの人の中で生き続けるって」

 母親はそう答え、また声を押し殺して泣き始めた。

 その横顔は驚くほど美しかった。

 麻生は感動で高揚しこぶしを握り締めた。

 だが、実際に死者から臓器が取り出される作業に立ち会うと再び嫌悪感がこみあげた。

(つづく)


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About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。