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─臓器移植ガイド─ [17] 6. 誰の目にも異常な医者③

 1994年3月に入ったある日、5ヶ月ぶりに奥井から電話があった。

「『文○春○』にあのQ大の移植が糾弾されている。すごいことが書いてあるよ」

 たまたま売店にあった厚い雑誌のその記事を読み始めるうち、麻生は興奮し、激しい頭痛がした。もちろんクモ膜下出血のときとは比べ物にならないが、麻生は記事を読み進むのを中断しなければならなかった。あまりにも大きな衝撃だった。

 タイトルが『S臓器牧場の手配師』。作家でもある著者の女性はSセンター所長をこう呼び、こう呼ぶべき根拠を次々に示していた。

 まず、ドナーになった男性(53歳)の母親と会って男性が意識を失った状況を聞き出していた。男性はトイレでしゃがんで排便をしているときに喘息の発作で後ろにひっくり返ったのだが、たまたま大小兼用で20センチほど高いトイレだったために、後頭部を強く打って意識不明になったという。

 少なくとも母親の認識はこうだ。
「頭を打ったから死んだ」

 麻生はあの時自分が感じた違和感はこれだったのかと納得した。中田の予言が的中したと思った。センター所長は、打撲による死亡では変死扱いとなり検視を免れないため、頭部打撲を隠蔽したまま「気管支喘息の重責発作による死亡」と虚偽の死因にしたのだ。

 ところでドナーの男性は心停止していたが、救急車でセンターに運ばれる際、心臓マッサージによって蘇生している。にもかかわらずその後「脳死」と宣告されるわけで、その過程もかなり不透明で嫌な想像をかきたてた。

 さらに、センター所長は「家族の強い希望で臓器提供した」と発表したが、真相はセンター所長が「脳死だから」と強く臓器提供を家族に迫ったために、母親が疲労の極みの朦朧とした状態の中で「どうなとしてえな」と答えてしまったというのが真相だった。

 また、男性の家族は保険会社に喘息を持病と告知していた。転倒事故で死んだのだから当然保険金が支払われると考えていたが、センター所長の都合で死亡診断書に「喘息による死亡」と記されてしまったために、保険金が下りなかったという(‘93年時点)。

 さて、記事の核心は、死後摘出とされているセンターの肝臓摘出が、実際は脳死での摘出だったとの指摘だ。作家は正確な臓器摘出手術の時間を探り出し、脳死の定義に照らして脳死手術だったと結論している。

 センター所長がことさら鬼のような形相で「大阪府の役人が邪魔をするから脳死手術ができなかった」と大勢の記者の前で吼えたのは、大阪府の役人およびマスコミより、むしろ批判的な医師と警察、全国民の目からこの事実を隠すための演技だったことになる。

 また、この母親は、息子が体の何をとられるのか認識していなかった。寝台車で帰ってきた息子は目から血を流し、まるで誰かわからぬほど変わり果てていた。また、なぜか着物が開けないように合わせ目が縫い止めてあった。そこでコーディネーターに問い合わせ、センター所長の残忍な処置を知るのである。 

 心臓弁二つ、腎臓二つ、耳の骨、肝臓まではしかたないと思ったが、「角膜二つ、皮膚は葉書大36枚分」と聞いて母親は絶句した。「目や皮膚までとは夢にも思わんかった。ほとんど全身の皮はぎよってまるで因幡の白兎や。人間のすることやないと思う……」

 麻生は吐き気をこらえた。

 同じ日に麻生は中田からもう一つの情けない事件を聞かされた。
(つづく)


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About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。