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─臓器移植ガイド─ [9] 4. トルサード・ポアン②

 〜これまでのあらすじ〜
 麻生芳人70歳、10年前まで救急医療センターの長だった。麻生が45歳で南東北救急医療センターの前身だった公立病院の副院長になった冬、仙台の学会に出席するという旧友の中田秀雄が麻生の家に泊まることになった。中田は、麻生に医学部進学を薦め、麻生の人生を決定づけた親友だった。実家が東京の胃腸科病院だった中田もアメリカ留学後ずっと陽の当たる場所を歩んできたが、教授に疎まれ自ら大学を飛び出して以後、民間病院で臨床に当たってきた。そんな中田との久々の再会で、麻生はかつて自分が大学の医局で研究に没頭して過ごした日々とその後の数奇な運命を思い返すのだった。

4. トルサード・ポアン

 臨床の受け持ちと手術を若手に回しただけでは追いつかない。結局、研究する時間が削られ、仕方なくセンターでの研究を打ち切ってF大に渡さなければならなかった。大学ならどんなに忙しい日常ですら、研究の時間が必ずスケジュールに含まれており、その日何を行ったか記すことができた。いまは記すべき何もない。

「なんだかね。研究をしないと一日が無為だったような妙な気持ちだ」

 中田に少し愚痴をこぼしているうちに、麻生は頭の隅にひっかかっていた患者のことを思い出した。

「この前、喘息患者が死んだんだ。少し不整脈はあったにせよ、寝る前はデータも安定した状態だったのに、夜中、看護婦が見回りに行ったら息をしていなくて、蘇生処置も効かなかった。よくあることらしいけど、俺は初めてでね。不思議な気がしたなあ。全然苦しんだ様子がなくてね」

「トルサード・ポアン(Torsarde De Pointes)ていうやつだな。悪性の死に至る不整脈。ときには少しの苦痛もなく眠ったままあちらへ行ってしまう。そのメカニズムは全然解明されていない」

「そんな名前がついているの? 突然死だから検視医がきて、解剖もやったし、遺族がOKしてくれたから心臓まで残してあるんだけど、メカニズムというか、不整脈の痕跡を調べる方法ってあるのかな」

「うーん、調べといてやろう。あと、なんか論文があるか探してみる」

「頼む」

 1992年9月、季節外れの冷たい雨の降る深夜、その前日センターに運ばれたばかりの60代の喘息患者が亡くなった。救急車で運ばれてきたとき、ひどい喘息発作が続いており、まず気道を確保して大量の水分を補給し、副腎皮質ホルモンを吸入させ、咳止めを、次いで再度副腎皮質ホルモンと気管支拡張薬を注射した。それでも安定せず抗アレルギー薬を注射してやがて落ち着いた。晩になって静かに眠っていると報告されたのだが、患者は深夜急死した。緊急蘇生措置として電気ショックを行ったが、心臓は二度と動こうとしなかった。

 まず考えられたのは気管支拡張薬アミノフィリンの副作用だった。センターでは血中濃度を確認して注射したが、咳中枢に働く咳止めを使用後、なお急性呼吸不全の症状が改善されなかったため、若干多めにアミノフィリンが投与された。おそらくセンターに来る以前にかかっていた病院でも投与していたはずで、患者の過敏な体質とも関係し、この薬の副作用と考えられる不整脈、心室細動から心不全に至ったという推測だ。

 心臓の平滑筋が開き、血流量が一時的に増えるために心臓にかかる負担が増大して、心臓が空回りすることが知られている。量に関係するためにアミノフィリンの血中濃度は厳重にモニターされ、ゆっくりと投与されるのだが、それでも事故は起こるということか。

 しかし、呼吸器科の医師は、
「抗アレルギー薬として使った新しい抗ヒスタミン剤の副作用の可能性もある」
 という。

 アレルギーが増悪していると判断した場合に、咳止め、気管支拡張薬以外に、抗アレルギー薬が用いられる。麻生も日常の治療でよく併用している。ところが抗アレルギー薬は数十種類あって、抗ヒスタミン剤と呼ばれる薬剤のいくつかは、ごく稀に悪性の不整脈を起こすことが報告されているという。

 正確なメカニズムは解明されていないが、悪性不整脈の心室性頻脈症になり、それに気づかずに放置すると心室細動、つまり心停止前の症状と同じ状態に移行する。早く気づいて電気ショックなどを行えば、本来のリズムを取り戻して心臓は動き出す。しかし、7~8分以上経過してから電気ショックを行って、心臓が拍動を取り戻したとしても、脳のダメージは大きく、植物人間になるか脳死になってしまうという。何か患者が不安を訴えたり、頻脈に看護婦が気づいて異常を発見すれば、ペースメーカーを埋め込むなどの対処もできるが、異常はなかなか発見されず、突然起こってしまう。
(つづく)


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About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。