魔都上海を巡る その10「芸術村から一大観光スポットへ。大きな変貌を遂げた『田子坊』」
前回は、上海の租界時代に発展した庶民の住宅街である弄堂(ロンタン)をご紹介した。星の数ほどある上海の弄堂のなかで、おそらくもっとも有名で多くの人が訪れるのが、今回ご紹介する「田子坊」と呼ばれるエリアである。かつてのフランス租界の南端に位置するこの場所は、庶民の住宅や小さな家内制工場が集まる弄堂の一つだった。
1930年代から近所に芸術学校があったところから、このあたりには多くの芸術家やその卵が自然と集まるようになっていた。そのため、租界の廃止後には、ただの長屋街に戻ったものの、もともと芸術的な下地があるエリアだったといえる。
そこに大きな変化が訪れたのが、それから約半世紀後の1999年ごろ。家賃の安さに目をつけた芸術家たちが、廃業した小さな工場の建物を借り、工房やアトリエ、ギャラリーとして使い始めたのだ。いわばニューヨークにあるSOHOのような自然発生的な芸術村で、歴史上の画家の名前をもじって「田子坊」と名付けられた。ただし地元の上海人たちからは、前を走る通りの名をとって泰康路(タイカンルー)と呼ばれることのほうが多い。
当初は弄堂内の1本の路地周辺だけだった。だがそのうちに芸術品や工芸品を販売する店も集まり、さらにその客を目当てにしたレストランやカフェ、バーも店を構えるようになる。
1本の路地だけでは場所が足りなくなり、隣接する他の路地へと飛び火。さらに脇の路地へ、路地の奥へと弄堂を侵食するように広がっていき、いつしか田子坊はオシャレな店と昔ながらの上海庶民の住宅が混在する観光スポットへと変貌を遂げていった。そして今でも少しずつ拡張を続けている。
ここには日本人経営の店もいくつかあり、観光客に大人気のカフェもある。かつては日本人の店だけで20数軒はあったという。
田子坊の中に入ると、目の前に広がる風景は映画『ハリー・ポッター』に出てくるロンドンのダイアゴン横丁のよう。居並ぶ店の種類からすると、魔法道具を売るダイアゴン横丁というより、原宿の竹下通りのほうが近いかもしれない。
幅4mほどの路地の両脇には古いレンガ造りの2階家や3階家がギッシリと並んでいる。1階はレストランや商店に改装されているが、2階の窓には洗濯物が干してあったりして生活感も漂っている不思議な空間。建物と建物の間はさらに細い路地になっていて、そちらにも店が並んでいる。どこも個人経営のようなところばかりだ。
もともとは長屋街である弄堂だっただけに、一つひとつの路地は狭く、しかも入り組んでいる。そのため、初めて行く人はたいてい歩いているうちに自分がどこにいるのか分からなくなってくる。
ここもしばらくは知る人ぞ知るスポットだった。筆者は2009年に上海に住んでいた時、田子坊には時おり足を運んでいたが、休日に行ってものんびり散策できる場所だった。
その状況が大きく変わったのは、2009年末に開通した地下鉄9号線の駅が近くにできてから。これにより観光客の数が爆発的に増加した。観光客が増えるに伴い、芸術とはまったく関係のない土産物や雑貨、化粧品を売る店ばかりになり、今では芸術村というよりも単なる観光地となってしまった感がある。
それでも、あまり目立たない場所にある建物の中にはデザイン事務所や画廊が並んでおり、芸術村としての面目をなんとか保っている――。
大手資本が入らず、自然発生的にできあがった観光スポットとしては大成功しているといえるが、今ではあまりにも観光客が増えたことにより、上の写真にもあるように、今もここに住む住人たちと店舗の間で軋轢も生まれている。
昔からここに住んでいるのはお年寄りがほとんど。そのためあと数年もすると、ここに住む住民はほとんどないくなり、土産物の店舗ばかりの場所となってしまうことだろう。
さて次回は、上海でもっとも古いエリアの一つをご紹介しようと思う。