移民都市・深圳をゆく その17「深圳最大の工場は、工場というよりも一つの町だった」 2018/02/24 敷地内にはスーパーからファーストフード店、病院、学校まで 深圳には、iPhoneやiPadなどのアップル製品を下請けで製造している台湾系企業の富士康科技集団(フォックスコン)の工場がある。電子機器製造の場合は「下請け」と [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その14「大気汚染により徐々に霞んでいった深圳の空」 2017/10/29 中国の大都市における大気汚染については、日本でも広く知られている。首都の北京では、あまりの空気の汚さに、家族連れで駐在していた日本人サラリーマンなどは、自分だけ北京に残り、家族は日本に帰国させたケースも多い。上海にも近く [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その8「一気に路線が拡大した地下鉄」 2017/02/06 筆者が2005年から深圳に住み始めた頃、町中の交通手段はバスがメインだった。地下鉄の2路線が開通していたが、広い深圳の割に路線の距離が短く、地下鉄駅から目的地までの距離が離れていることも多かったため、結局は細かく停留所 [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その7「経済特区初期に人々が移り住んできた古い街並み」 2017/01/05 前回は古くからある深圳の繁華街・東門を取り上げたが、今回はそこに隣接する、経済特区初期に深圳に移ってきた人々が住み始めた地域をご紹介する。経済特区として発展を始めたころの深圳人たちの生活環境はどのようなものだったのか、 [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その6「古くて新しい、深圳最大の繁華街──東門」 2016/12/13 1980年に経済特区として誕生した深圳には「古い街並みというものがあまり存在しない」と前回書いたが、まったくないわけでもない。6700年前の新石器時代にはこの地域に人が住み始めており、紀元前3世紀前半の秦朝の時代にはこ [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その5「一気に大都会に発展した街並み」 2016/11/07 経済特区に指定されてからわずか30年あまりで、人口3万人の漁村から中国第4の都市にまで発展した深圳。千年以上の歴史を持つ他の都市とは異なり、古い街並みというものがあまり存在せず、ほとんど何もないところにどんどん街を作っ [...続きを読む]
突然子育てエッセイ──いつか過ぎ去る「送り迎え」の日々 2016/10/20 “送り迎え”というのは小学生以下の子供を持つ親にとって、生活の主要なテーマのひとつであろう。 「もうひとりで行かせればいいだろう」 娘を通わせたバレエのレッスン場が遠方に変わってしまい、日曜日のたびに送って行くのが大 [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その4「“経済特区”深圳の生みの親──鄧小平」 2016/10/05 現在の深圳の発展を語るうえで、切っても切り離せない人物がいる。1970年代終わりから80年代終わりにかけて約10年もの間、最高指導者として中国に君臨していた鄧小平(トウ・ショウヘイ)である。鄧小平が1979年から推し進 [...続きを読む]
「ハゲは医者に頼らず我流で治せ」毛活の記録⑤ 2016/08/15 AGA(男性型脱毛症)である私の毛髪の成長過程を紹介するはずだったこの企画。今年1月3日に最後の更新をして以来、ほっぽらかしだったが、ふと今回、7カ月ぶりに経過を報告しようと思う。 現在、使っているのは前回と変わらず [...続きを読む]
「スーパーマンの落日」に見るアメリカ大統領選の影とは 2016/05/07 5月4日(現地時間3日)の報道によると、アメリカ大統領選の共和党候補者指名争いで、獲得代議員数が2位だったクルーズ上院議員が選挙戦から撤退。ついにドナルド・トランプ候補が共和党の指名を獲得することが確実になったという。 [...続きを読む]