─臓器移植ガイド─ [16] 6. 誰の目にも異常な医者②
「完全な死後かどうかがポイントだが、恐らく心停止させる前に肝臓にもなんらかの処置を行っているんじゃないか。それによって大阪から九州まで運ぶ時間を確保したと考えるべきだろう。彼らにトリックがあったとしても、医学の進歩に貢献するノウハウが適用された可能性も否定できないだろう」
奥井は例によって客観的に麻生の質問に答えた。
「もう一点、血液型不適合の移植は、死後移植より難しいと考えられるんだ。それに対してQ大チームは、レシピエントの血漿を別の血液型の血漿に交換して、急激に起こる抗原抗体反応を緩和しながら、アメリカの大学病院で開発した四つの免疫抑制薬を併用して拒絶反応を乗り切ろうとしている。俺の個人的な感想としては、こんなこともできるという、最も特殊な例に対する対応策をすべて試している、というところだ」
その免疫抑制剤とは、OKT-3、ソルメドロープ、プロソサイクリンA1、サイクロマスカマイドという化学物質だという。麻生が知っているのはシクロスポリンかFK506くらいで、一つ一つの違いさえ想像できなかった。
「あのQ大移植チームは14人いるそうで、そのうち10人は俺と同じアメリカP大学などで実際に肝移植に立ち会ったことがあり、特に大阪で肝臓を摘出し、Q大でも執刀した講師というのが、何100例も肝移植をやっていて、現在でも向こうの大学の助教授の肩書きもあるつわものなんだ。だからアメリカの大学病院との協力関係もあるだろうし、日本ではまだ知られていない移植のノウハウや、新しい免疫抑制薬のデータも持っているんだ」
「じゃあ、本当に成功する可能性があるのか」
「いや。可能性はごく低いだろう。この手術そのものが限りなくデモンストレーションと言うか実験に近いんじゃないか。なぜかというと、血液型不適合の上、ドナーは脳死前に一時心停止を起こしていたというし、心停止後に肝臓を取り出したと言っているわけで肝臓の状態が非常に悪いのは間違いない。それに加えてレシピエントの術前状態も最悪だし、ウイルス性のC型肝炎が進んだ肝硬変だから再発の可能性も高いらしいんだ」
「あと、レシピエントの家族には医療費を支払う能力はなく、すでにQ大病院側が『医用患者』として負担することにしているそうだ。それだけ無理してもプラスマイナスで将来的なメリットのほうが大きいと、政治的判断をしているんじゃないかな」
「『731部隊』だな」
「えっ……、人体実験ということ? まあな」
もっとマスコミが大騒ぎするものと思っていたが、脳死ではなかったととらえたせいか、ニュースの回数も尻すぼみになり、移植を受けた人物の状態がたまに報じられるだけになった。この50歳の男性は5日後から意識を失っていた。麻生はその後の動きを知るすべもなく、いつか忘れかけていたが、その年の暮れに男性は危篤状態であると報じられ、1994年1月4日に亡くなった。
(つづく)