新着記事

京都・岩倉を歩く─精神病患者と共存した町(後編)

「岩倉具視幽凄旧宅」のしずかなたたずまい。

 江戸時代から精神病患者を預かり、ともに生活してきた岩倉。明治・大正の時代に入ると、精神病患者は精神病院という施設に収容され、管理されるようになっていく。それは岩倉も例外ではなかった。中村治先生の『洛北岩倉と精神医療』(世界思想社)によると、明治17年、岩倉に「岩倉癲狂院(いわくらてんきょういん)」が開院した。その後「岩倉精神病院」「岩倉病院」と名を変え、終戦直前の昭和20年、陸軍に接収されることでいったん幕を閉じる。そして昭和27年、岩倉で精神病患者の保養所を営んでいた経営者が新たに岩倉病院を設立する。

病院と住民の間に亀裂を生んだ管理収容

 岩倉で生まれ育ち、岩倉の歴史を研究している中村治先生とともに岩倉の町を歩いていると、精神病患者が生活する居住施設や、病院の入り口付近に佇むおとなしい患者の姿が目に映る。中村先生と私は病院の裏手を通りかかった。

「私が子どものころは病院の窓に鉄格子がはまっていて、ここを通ると、『出せー!』って患者さんが叫んで鉄格子にしがみついている姿を見かけることもありました」

 200年以上にわたり、精神病患者と共存してきた岩倉の町。しかし、大正末期から昭和初期に患者数が急増すると、岩倉病院が流す下水が岩倉川を汚すようになる。病院は患者の食材さえも京都市内から買うようになり、ますます町には精神病患者と共存することによる恩恵がなくなっていった。

 さらに、昭和50年代になると、新しい世代の医師たちが急速に病院の開放医療化を進め、その結果、岩倉の民家に患者が侵入して、水道を出しっぱなしにしたり、仏壇のお供え物を食べてしまうような事態が続発。病院と岩倉住民の間の亀裂が深まっていったという。

 中村先生は岩倉で記念館として公開されている古い日本家屋に私を案内してくれた。国指定史跡となっている「岩倉具視幽棲旧宅(いわくらともみゆうせいきゅうたく)」である。明治維新を推進した立役者のひとりであり、かつては500円札にもその肖像が描かれていた公卿出身の政治家・岩倉具視は、尊王攘夷派から狙われたことから、文久2年(1862)年から慶応3年(1867)年まで、この地に幽棲して難を逃れた。この家で倒幕の策謀をめぐらし、大量の手紙をやり取りし来客と密談を交わしたという。5年の間に岩倉具視はこの地の人々に溶けこみ、命を狙う志士がやってきたとき、精神病患者のふりをして逃れたこともあった。

 この旧宅の管理人と、中村先生が比叡山を見ながら交わした言葉が印象的だった。

「ほら、岩倉から見る比叡山の山裾は柔らかいですよね。京都市内からだと、もっと、とげとげしい角度に見える。ずっと昔からここに暮らしてきた精神病の患者たちも、あの比叡山の山裾を見て癒されていたのではないかと思うんです」

比叡山の山裾にふたたび岩倉のやさしさを取り戻す

 岩倉はちょうど祭りの準備の最中だった。神社に集まる町の人たちと中村先生が楽しそうに言葉を交わす。祭りの当日は、明け方の3時から5時にかけて、8メートル50センチの大松明(おおたいまつ)に火を灯す。

 岩倉具視は、岩倉の一言神社と呼ばれる神社に毎日詣でて、なにかを祈願していたという。

「きっと、祈っていたのは『打倒幕府』やろな」

 中村先生がそんなことをつぶやく。

20141012_102230

井戸の水を飲むことが治療と信じた。

 岩倉を歩く小旅行の最後は、小さな滝と、そのそばにある古い井戸だった。江戸時代から明治にかけて、岩倉を訪れた精神病患者は、ひたすらこの滝の水を浴び、井戸の水を飲むことを繰り返した。精神と神経を落ちつかせる抗精神病薬のない時代、滝を浴びて井戸の水を飲むことが治療のすべてだった。しかし、その後に訪れた管理収容・薬漬けの精神医療の時代よりも、井戸と滝にすがり、岩倉の人々に助けられた時代のほうが、人間らしい治療の場として機能していたのかもしれない。

 いま、岩倉はかつての病院と住民が軋轢を経験した時代を乗りこえ、ふたたび精神病患者と住民が共存する空間を取り戻してきているという。中村先生が言う。

「私が子どものころは、岩倉が精神病患者預かりの地であることを恥ずかしい、隠したいと思う人が多かったんです。でも、いまようやく精神病患者とともに生きてきたこの町の歴史を肯定的にとらえ、受けついでいこうという雰囲気ができてきています。そのことが、私はとてもうれしいんです」

20141012_102323

患者たちが精神を落ちつかせようと浴びた小さな滝。

 京都・洛北。比叡山の柔らかい山裾と、清冽な空気に抱かれながら、岩倉は今日も精神病患者とともにあり続けている。

About 里中高志 (9 Articles)
1977年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉士。フリージャーナリスト・精神保健福祉ジャーナリストとして、「サイゾー」「新潮45」などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。