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京都・岩倉を歩く―精神病患者と共存した町(前編)

岩倉には現在も静かな時間が流れる。

 岩倉川にかかる、十王堂橋という小さな橋が、待ち合わせ場所だった。今日、私を案内してくれる中村治先生は携帯電話を持っていない。携帯電話を持っていない人との待ち合わせは久しぶりなので、会えるかどうかドキドキしながら、私は細い岩倉川に添って上流のほうへと歩いていった。

 先生は、十王堂橋の上ですでに待っていてくれた。

「分かりましたか」と第一声を発した中村先生は、次いで「ここが岩倉が始まったところです」と教えてくれた。

 岩倉という小さな町は京都の北のはずれにある。叡山電鉄という小さな路線に岩倉という駅があるほか、京都市営烏丸線の「国際会館」という駅からも歩いていける。

 今回私が特別に岩倉を訪れたのは理由がある。関東の人には馴染みがないだろうが、岩倉は京都においてちょっと変わった意味を持つ場所だ。ここは、古くから心を病んだ人を預かり、ともに生活してきた風習を持つ土地なのである。

岩倉に預けられた精神病患者はみな家族同様に暮らした

 大阪府立大学教授の中村治先生は、岩倉で生まれ育ち、岩倉の歴史を研究している。

 先生の著書『洛北岩倉と精神医療』(世界思想社)によると、江戸時代の18世紀末にはもう、多くの精神病患者が岩倉を訪れるようになっていて、そういう患者のための茶屋などができていたという。明治時代になると、精神病患者を預かる保養所ができ、さらに村の多くの民家でも精神病患者を預かるようになっていく。

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京都の北のはずれ、岩倉には現在も落ち着いた静かな時間が流れる。

 岩倉を歩いてまず気づくのは非常に静かなことだ。京都の中心から、それほど離れていないにもかかわらず、観光客の姿はまるで見えない。穏やかな時間が流れている。とても空気が澄んでいて、神経が研ぎすまされていくような感覚がある。このような土地だからこそ、刺激に敏感な精神病患者も落ち着いて過ごすことができたのかもしれない。

 ふるい民家が並ぶ通りを歩きながら、中村先生は、「あの家にはどこどこの家の人が預けられていて……」「あの家では……」と、それぞれの家に深い歴史があることをそれとなく教えてくれる。岩倉に預けられた精神病患者は、高貴な家や大会社の創業者一族などの子どもも多く、なかには精神病だけではなく、さまざまな事情で生家では育てられない人も含まれていた。だが、それらの人びとはみな岩倉の家々で家族同様に暮らした。ときに農業などを手伝い、なかには預けられた家の跡継ぎになった人もいるという。

 交通手段が今のように整備されておらず、たいした産業もなかった岩倉の村は、精神病患者や里子を預かり、その生家からお礼を受け取ることで生計が成り立っていた。

岩倉という土地を有したこの国の歴史の優しさ

「岩倉には京都の高貴な家の人もおおぜい預けられていたけど、そういう人たちも、この村では静かに人生をまっとうすることができた。ところが以前イギリスの研究者に、『君の国では昔、身分の高い家から精神病患者が出たらどうしていたんだ』と聞いたら『分からない』というんだね。ひょっとしたら、それはもっと残酷な方法で葬り去られていたのかもしれない。それに比べると、こういう土地を持っていたこの国の歴史には、優しさがあったのと違うか」

 中村先生は歩きながらこのように話してくれた。

 ときおり、「患者さんかな?」と思われる人が通り過ぎる。岩倉にはいまでも多くの精神科病院がある。ここには、たしかに精神病患者が暮らす場があり、自由に外を歩ける空間があるのである。彼らは静かに町を歩いていて、この町の空気と自然に共存している。それは、200年以上つづく岩倉という土地の伝統でもある。

 しかし、明治期の保養所から、現代の姿に移り変わるまでの過程は、決してスムーズに連なっている訳ではない。精神医療の制度化、収容施設化という明治から大正、昭和へと連なる歴史のなかで、精神病の患者とともにあり続けてきた岩倉という土地も、さまざまな軋轢を経験したのだ。その一端を、代々この土地で暮らしてきた中村先生がぽつりぽつりと教えてくれた。
(後編につづく)

里中高志
About 里中高志 (9 Articles)
1977年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉士。フリージャーナリスト・精神保健福祉ジャーナリストとして、「サイゾー」「新潮45」などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。