移民都市・深圳をゆく その1「香港への窓口として発展した都市」
中国南部の広東省にある深圳は、北京・上海・広州に次ぐ中国第4の都市。とはいえ、都市としての歴史は浅く、1979年から始まった改革開放とともに制定された市である。今回から新たに、わずか30年ほどの間に爆発的な勢いで大きな発展を遂げた深圳について取り上げていく。
「深圳」という都市の名前を聞いたことはあっても、それがどこにあるか分からない人も多いことだろう。そこでまず最初に、深圳がどこにあるかの地理的な説明をしておこう。
沖縄よりもさらに南、台湾南部とほぼ同緯度に位置し、南側を香港と接している。地図を拡大してさらに近づいて見たのが以下である。
大きな川を挟んだこの一帯が「珠江デルタ」で、“世界の工場”と呼ばれた中国の製造業を牽引してきた地域である。深圳は香港のすぐ上に位置しており、香港とは陸続きとなっている。
陸地でつながっている“国境”の部分には川が流れており、川沿いには高い鉄柵が設置されている。香港は1997年にイギリスから中国に返還され、香港は中国の一部となったのだが、大陸側と香港の間を自由に行き来することはできず、外国人ならパスポート、中国人なら特別な通行証が必要となる。そのため、簡単に向こう側には行けないように鉄柵が設けられているというわけである。
深圳の発展は、香港との地理的、経済的な結びつきによって成し遂げられた。深圳の一部が1980年に経済特区に指定されたのも、すでに貿易と金融で発展していた香港のすぐ隣にあったから。深圳を外国企業が進出しやすい経済特区にすることで、香港からの投資を呼びこもうとしたわけである。
そして、その目論見は当たった。かつては人口3万人の小さな漁村にすぎなかった深圳が、わずか30年で人口は1000万人を超え、経済的にも中国第4の都市にまで成長を遂げたのだ。
その1000万人を超える人たちはどこから来たのかというと、中国のありとあらゆるところからやってきている。地元出身の人は非常に少ない。それゆえ、深圳は“移民都市”とも呼ばれている。みんな一攫千金を狙ってとまでは言わないが、いずれにしても経済的な成功、つまり働き口を求めてやってきた人たちばかりである。
それが、都市としてわずか30年ちょっとの歴史しかないことと相まって、深圳に中国の他の都市とはまた違った特徴を生み出している。次回以降は、深圳らしい特徴について取り上げていきたいと思っている。