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─臓器移植ガイド─ [22] 8. 悔いるべくして悔いる②

「俺は医者になるべきじゃなかった」

 朝食の後、麻生はぼんやりと医者をやめようという思いを固めた。だが、目の前にコーヒーの香りが立ち上り、さえ子が腕を組んで自分の顔を覗き込んでいた。懐かしい、幼い顔に思い切りしわを刻み込んで心配を表していた。

 麻生はブルッと肩を震わせた。さえ子との人生はまだ果てしなく長い。自分は医者以外に生きていく術を知らない。

 麻生は外科医以外の医者の道を探った。幸い、地元医師会との交流で知り合った長老に相談すると、引退を宣言しながら患者に乞われて辞められない医師を引き合わせてくれた。奥さんがリウマチで、沖縄の島の家にすでに住んでいるとかで、話はとんとん拍子に進み、麻生はアパートから単身その医院に移り、そこの患者を引き継いで診るようになった。

 そして救急センターも時間をかけて引き継ぎ、200X年3月、定年を3年残して辞め、開業医になった。
 
 300坪の敷地のほとんどを地元の植木職人が工夫した雑木林が占め、冬は風から守られて温かく、夏はそこを抜けてくる風が涼しいと、なんともいえず贅沢な家だった。

 さえ子が大喜びで一日中活き活きと庭と家の中を動き回っている。麻生にとっても平穏で充実し、満ち足りた日々。しかし、日に何度となく悔いがこみ上げる。それでも時間は過ぎて行った。

 健一も新しい家が気に入って、前よりもまめに家族を連れて遊びにくるので、さえ子は大満足だ。健一は現在、中田の出た関西の大学医学部の医者だった。ただし、麻生とも中田とも異なり、脳神経の研究者になっていた。

 ところで、麻生の医院は市の比較的古い町に位置したため、患者は圧倒的に高齢者が多かった。それは不定愁訴の患者が多いことでもあった。要するに検査をしても原因がつかめず、診断に迷う。胃が重い、胸焼けがする、空セキが出る、ときどき動悸がする、眠れない、等々。

 麻生はちょうど県医師会で開いていた勉強会に顔を出し、漢方を取り入れている先輩医師Mの話を聞いて、「これかも」と思った。普段使っている医療用の現代薬に懐疑的なことに麻生自身前から気づいていた。

 麻生は個人的にMに教えを受けるようになった。

「高齢者には薬は効き過ぎてはならない。その点で現代薬は使わないほうがよい場合がある」

「不定愁訴などと言うものはない。現代薬は高齢者の感覚にヒットしない、フィットしないだけ。漢方はそこにうまく適合することがある」

「漢方は対症療法ではなく、原因そのものを考えてそこに向けて働くため、現代薬より理にかなっていることがある」

「かといって漢方は万能ではない。現代薬と上手に使い分けたり併用すること」

「ときには原料となる生薬を組み合わせ、患者に合ったせんじ薬を用いると劇的に効果を得ることもある」

 などがMの考えの基本だった。

 同じ患者について診断と処方を麻生が述べ、Mに手直ししてもらったりして、実際の診療に取り入れてみると、患者におおむね好評だった。すぐ保険適用の漢方薬に飽き足らず、Mの紹介で専門業者から取り寄せた生薬を置いて自分で煎じるようになった。
(「8. 悔いるべくして悔いる」終わり。「9. 自らの深い欠陥に恐怖する」へつづく)


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久保島武志
About 久保島武志 (64 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。