魔都上海を巡る その7「じゃじゃ馬の妹と優しい姉のワンセット」 2014/12/23 タイトルからすると何やら怪しい内容のように見えるが、前回、上海の美味いものMyベスト3の一つを挙げたので、今回も続けてもう一つをご紹介しようと思う。「湯包」と「老鴨粉絲湯」。別々の食べ物だが、筆者にとってはこれでワンセ [...続きを読む]
魔都上海を巡る その6「上海の朝ご飯」 2014/12/15 今回は上海の朝ご飯について。世界の美食国といえばフランスと中国の両巨頭がまず挙げられるが、この両国の食事に共通するのが、朝食がとても貧弱なこと。昼と夜に美味しいものを食べるから、朝は簡単に済ますのだろうか。フランスなど [...続きを読む]
魔都上海を巡る その5「紹興酒と娘の慶事」 2014/12/09 今回は、前回に少し出てきた「女児紅」という銘柄の紹興酒について。「女児紅」は中国語読みだと「ニューアールホン」となる。ウィキペディアによると、この「女児紅」というのは、本来は銘柄の名前ではなく「中華人民共和国浙江省の習 [...続きを読む]
魔都上海を巡る その4「悠久の歴史を持つ酒・紹興酒」 2014/12/01 今回は日本の中華レストランでもよく飲まれている中国の紹興酒についてご紹介しよう。その前に、紹興酒についての誤解を1つ解いておきたい。日本では中華レストランに行くとたいてい紹興酒があるため、紹興酒は中国を代表する酒で、中 [...続きを読む]
魔都上海を巡る その3「悠久なるながれ『長江(揚子江)』」 2014/11/25 アヘン戦争後の1845年以後、上海ではイギリス租界にはじまる欧米列強による租界の形成が約100年間つづいた。いまや中国一の大都会へと発展を遂げた「魔都」上海。ふだんは大気汚染が激しい上海だが、空気が澄んでいた日を見はか [...続きを読む]
魔都上海を巡る その2「発展の源『租界』」 2014/11/17 アメリカ、イギリス、フランスといった諸外国は、アヘン戦争終了後の1845年から約100年間、上海に「租界」と呼ばれる外国人居留地を設けた。上海に租界がなかったら、おそらく今のような発展はなかっただろう。上海の発展と租界 [...続きを読む]
魔都上海を巡る その1「上海と山手線」 2014/10/31 アヘン戦争終了後の1845年から約100年間、アメリカ、イギリス、フランスといった諸外国は、上海に「租界」と呼ばれる外国人居留地を設けた。租界の独特な雰囲気は、のちに魔都という呼称を生む。魔都上海を巡ろう。 筆者は現 [...続きを読む]