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風戸裕の短すぎた生涯[20]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」②

photo:ビル大友・著「レクイエム風戸裕」より

 10戦目、イタリア・モンツァのノンタイトル戦では、風戸と瑞枝が観戦した。

 初めのうち、レースになじむ事ができない風戸だったが、裕のマシンを確認するためにレースの流れを理解し、裕の順位も自然に分かるようにはなっていた。しかし、周りの観客と心を通わせてレースを楽しむことなどとは無縁だった。ところが、そうやって何回か裕のレースを見守り、この、日本から遠く離れたサーキットにきて、風戸は自分の心の動きを怪しむ体験をした。レース中に正面のストレートで、裕が前のマシンにぶつかりそうなほど近くを追走するスリップストリームに入ると、観客が大騒ぎする。口笛を鳴らし、「カザート」「ヒーロシ」と叫び、裕が少しでも前に出ると夢中で手をたたき、再び抜き去られると大げさに落胆の声を上げた。

【登場人物】
風戸 裕=フジで事故死したレーサー。
風戸健二=その父。日本電子創業社長。

「カザート」、その声を聞いて風戸の胸はときめいた。瑞江の横顔をのぞくと、やはり紅潮している。「俺の息子だ」。まさか、真っ先に浮かんだ思いに風戸はうろたえた。

 裕の困難な闘いに立ち向かう姿を見守るためにここにいる。それなのに、異国の見知らぬ若者たちの裕に対する声援に、誇らしさを抑えられない。自分はなんと馬鹿な親だ。自分を責めながら、風戸は幸せに酔った。目の隅に、瑞枝がハンカチで目頭を押さえているのが見えた。裕は母も、自分と同じ幸せな気持ちにしている。

 その後も毎周、裕がストレートに現れるとスタンドが揺れた。パワーは非力でも、食らいついて離れない腕と闘志を観客は愛した。

 風戸は異国の若者たちの熱狂する声に、我に返って感動した。おそらく裕について知る者はほとんどいないはずだ。それなのに、彼らは声を枯らして裕の名を叫んでくれている……。

「裕がやろうとしているのは、これなのか」
 レースの中で、裕のレースそのものを認めさせる……。パフォーマンスの奥にある心意気、大げさに言えば生きる姿勢を見せること。

 10周目、裕のマシンが現れないことに気づくと、スタンドに大きなどよめきが上がった。しばらくはその余韻が続いた。けれどレースは続き、やがて誰もが裕のマシンを忘れてしまったようだった。風戸は戻ってこない裕を待ち、たちまち気持ちを暗転させた。

「このレースが裕を見る最後か」
 胸の奥が痛む。瑞枝の顔を見られない。

 だが、レースが終わり、裕の手を振る姿を認めてホッとした。ピットまで行くと、裕はにこやかに笑いながら母に走りよった。

「心配させてごめん。ぶつけられてマシンが故障しちゃって」
「ケガはなかったのね」
「全然。僕はなんともないよ」
「それならよかったわ」
 母に心配させないように、控えめにサラッと説明する裕だった。

 風戸は裕の無事な顔を見ればそれでよく、裕にうなずいて見せただけで何も声をかけなかった。代わりにずっと裕のマシンを担当してくれるメカニック、猪瀬良一に礼を言おうとその背中に近づいた。猪瀬はマシンメーカーのスタッフとブロークンな英語で話し合っていたが、「クラッシュ」という猪瀬の言葉を聞ききつけて風戸は目を上げ、理解した。

 カーナンバー27、裕の赤いフォーミュラカー、マーチ722は大破して動かなくなったのだ。詳細を裕に確かめると、故障などではない、現実は死と紙一重のクラッシュだった。コーナーを260キロのスピードで抜けようとしていた裕のマシンが、スピンした隣の車に激突された。はじき飛ばされ、コントロール不能になったのを必死のハンドリングで体勢を支え続け、運良くガードレール手前でストップしたというのだった。

「エッ!」
 絶句した風戸。
「そんなあ……、心配しないで」
 裕は困ったように頼むのだった。

 裕がF2を始めてからすでに、いや、まだと言うべきか、10戦だったが、クラッシュはこれで3度目だった。初めのクラッシュでは日本に戻って脳波などの精密検査まで受けたが、異常なしとわかるととんぼ返りして翌々週はレースに出場していた。その3戦後にまた予選でクラッシュ、さらにまた4週後の今日、無理をしてクラッシュしたのだ。

 なぜそこまでと思うが、裕には都合があった。ヨーロッパのレース界に自分をアピールしてF2を数年で卒業、上のF1に駆け上がり、30歳を過ぎたらドライバーから退いて別の道に転進する。風戸との約束だった。急がなければならない。

 だからこそ、ほとんど互角の腕と同じ野望を持つ同世代の他のドライバーよりも、アクセルは強く踏み、ブレーキはギリギリまで踏まないことを自分に課したようだった。その代償としてのクラッシュだ。見ている人全員に自分をアピールしなければならない。そうすることでF1に早く乗れるはずで、それが父健二との約束を守ることにつながる……と。

「命を粗末にするのではないよ」
「決して」

 このころになると、日本でレース結果を聞くしかないファンはF2での風戸裕に多くを期待しなくなっていた。裕はあまりにもトラブルが多過ぎて、結果を少しも示してくれないと感じたことと、日本のレースに姿を見せないことが重なって、だんだん裕の名前が話題に上らなくなった。しかし、そんな日本国内とは全く逆に、F2では裕の人気は定着し始めていたのである。

 目の肥えたレースファンが見たいのは、マシンの速さではなく、青春真っ盛りのドライバーの純情だった。いわば生きの良さのコンテスト。ファンは直線のスピードでマシンの貧しいポテンシャルを見抜く。非力のポテンシャルでもその範囲内でひたむきにコーナーを攻める裕はいじらしく、愛しかったのだろう。攻めるがゆえのクラッシュの多さだった。その姿勢がストレートを走っている時でも伝わってくる。

 裕はどのサーキットでも格別の大拍手で迎えられるようになっていた。

(つづく)

About 久保島武志 (65 Articles)
1967年出版社勤務。自動車レース専門誌「オートテクニック」でレースを支える人々や若手ドライバーのインタビューを手がけ、風戸裕のレーシングダイアリーを編集。1974年、レース中の事故による裕の死を契機にフリーとなり、早稲田編集企画室に所属。「週刊宝石」「週刊現代」等で様々なリポートに携わる。