風戸裕の短すぎた生涯[40]最終章 「父子、その生き方」⑥最終回 2016/05/15 「──裕は自動車レースの危険を十分承知の上でも、こよなくこれを愛し、このために命を失うことも覚悟いたしておりました。親としての私共は、また肉親一同も危険の多いこのようなレースはやってもらいたくありませんので止めさせようと [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[39]最終章 「父子、その生き方」⑤ 2016/04/19 風戸は静かに、かすれ声で語った。 「もう、ずいぶん前です。日本電子が軌道に乗りかけたころですか。伊藤さん(庸二)がこんなことを言ったことがあります。『風戸君、君の社長は一代限りにしたまえ』」 「どういうことだったんです [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[38]最終章 「父子、その生き方」④ 2016/04/01 その後、筆者が「筆者自身の認識は思い込みに近いもので、別の視点がある」ことに気づくまでには長い時間がかかった。感情的に声を上げることが、充足を生むどころか、苦い悔いを生み出すことを私自身体験し、風戸の言う考え方こそ、彼 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[37]最終章 「父子、その生き方」③ 2016/03/08 小林の体調の良いとき、風戸は軍団のメンバーもまじえて本当に一晩話し明かしてしまった。よく居合わせるメンバーは見識の高い人が多く、特に女性はサムライぞろいだが、彼らが語る裕への熱い思いに、風戸はただただ圧倒されっぱなしだ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[36]最終章 「父子、その生き方」② 2016/02/28 会社のしがらみから解放されると、風戸健二は瑞枝とともに、二人が知らなかった裕の断片を集めることに没頭した。 裕の死の瞬間の様子を微細に知ろうと探し出してもらった、観客の撮影した8㍉フィルム。 事故原因となった2台の [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[35]最終章 「父子、その生き方」① 2016/02/24 裕がCAN-AMに出場している1971年(昭19)8月19日、ニクソンショックの折、風戸は裕に書き送った手紙に記している。 《裕君 日本は8月15日、ニクソン大統領の「緊急ドル防衛対策」発表により、大変な経済問題に当面 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[34]第9章 「裕、あと一息でF1」⑤ 2016/02/15 17台のレーシングカーが地響きを上げて、バンクを流れるように行進するのは迫力じゅうぶんだ。振動がいつまでも続き、後には濃い白煙が立ち込めた。 アナウンサーが状況を説明する声が流れているが、スピーカーがサーキットのあち [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[33]第9章 「裕、あと一息でF1」④ 2016/01/26 1974年(昭49)6月2日、「富士グラン300km」の日を迎え、富士スピードウェイには5万を超える大観衆が詰め掛けた。 標高1000メートル以上の高原は真夏のような太陽が照りつけ、選手紹介でコントロールタワー前のコ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[32]第9章 「裕、あと一息でF1」③ 2016/01/21 予選も、ドライバーズミーティングも刺々しく、本番のレースでもイチかバチか、とんでもないことをする者が出そうだった。ドライバーには速い者やカテゴリー別の第一人者はいたけれど、ドライバーの組織は機能せず、ドライバーをまとめ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[31]第9章 「裕、あと一息でF1」② 2016/01/07 私は裕のシェブロンNo.2の決定を大きな驚きで聞いた。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 F2の成績しか知らず、現地の雰囲気や途中のいきさつを知らず、なぜ成功し [...続きを読む]