「スーパーマンの落日」に見るアメリカ大統領選の影とは
5月4日(現地時間3日)の報道によると、アメリカ大統領選の共和党候補者指名争いで、獲得代議員数が2位だったクルーズ上院議員が選挙戦から撤退。ついにドナルド・トランプ候補が共和党の指名を獲得することが確実になったという。
従来、アメリカの中心をなしてきたはずの白人層は、有色人種や移民の増加で近い将来マイノリティに転落すると言われており、成功した移民よりも貧しいプアホワイトと呼ばれる人たちの憤懣はふくれあがっている。同性愛や中絶の容認といったリベラルな風潮がメインストリームとなることに、危機感をつのらせている保守的な人々も多い。トランプは、そういった人達の鬱憤を見事にすくい上げてみせたのだ。
アメリカ大統領選取材歴ウン10年のあるジャーナリストによると、トランプのような候補はもっと早くに選挙戦から脱落しているはずのイロモノで、ここまで勝ち進むのは、いかにアメリカが行き詰まっているかを象徴しているのだという。
アメリカの行き詰まりはハリウッド映画のなかにも如実に反映されている。最近そのことを深く考えさせられたのは、アメコミ2大ヒーローの共演となった「バットマンvsスーパーマン」だ。前作「マン・オブ・スティール」で自分の故郷の星からやってきたゾッド将軍との対決中に街を破壊しまくったスーパーマンは、世論の非難を浴びるようになる。人類を滅ぼしかねない力を放置しておけないと感じたバットマンは、スーパーマンの力を弱らせる鉱石を入手し、戦いに挑む。○○の名前が同じ、というだけで結果的に和解してしまうのはご愛嬌だが、政府の公聴会にも出席させられるスーパーマンの姿に、アメリカ人のアメリカ不信を重ね合わせることは容易だろう。このようなアメコミ映画を通じて正義の危うさを論じるパターンは、つい最近公開された「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」でも踏襲されているようだ。
最近、1981年の「スーパーマンⅡ 冒険篇」を20数年ぶりに見直したが、「マン・オブ・スティール」と同じゾッド将軍との戦いでも、こちらはなんと牧歌的なことか。ここに描かれたスーパーマンは爽やかで陰りはみじんもない。自らの力の大きさに苦しみ、辛気くさい顔をしている今のスーパーマンとはまるで別物である。それはここ30年でアメリカが素直に正義を信じられなくなったという証でもある。
アフガン戦争とイラク戦争の失敗がアメリカ人の自信を喪失させ、その鬱屈に対する反動が現在のトランプ現象を生み出したのだとしたら、21世紀のスーパーマンにとどめを刺すのは誰の役回りなのか。それはもう起こっているかもしれないし、これから起こるのかもしれないが、本当の犯人は少なくともあと20、30年しないと分からないのであろう。