─臓器移植ガイド─ [25] 9. 自らの深い欠陥に恐怖する③
以前、中田に大学を去った事情を聞いたことがあったが、しばらくしてから「お前にだけ話しておく」と、別のエピソードを話してくれた。
教授から理不尽な嫌がらせを受けた中田は、ひいきにしてくれていた学部長(基礎医学の教授)に相談した。
すると学部長は、「それは殺したいほど教授が憎いだろうな」と言ったという。
「けんかをするなら応援する。だがけんかをするといってもどんな方法があるかおぼつかないし、けんかしたとしても相手が教授(旧帝大の、教授制崩壊以前の教授)だけに、みじめに叩き潰されるか、勝っても大学に残れるとは限らず、ボロボロになって出ていかなければならなくなる可能性が高い」
と話し、結局、学部長は、
「君の舞台は世界だろ。こんな大学、捨てちまえ」
と言ったとかで、肩書に少しの未練もなかった中田は「東京に行けばなんとかなる」という思いもあって決心したという。
「学部長に『殺したいほど憎いだろう』って言われて一ぺんに目が覚めた。実は、教授をどうやって殺してやろうって毎日考えていたんだ。自分の中にそんな面があるのが怖くて学部長に相談しに行ったのに、まるで見透かされてるんだもの、大学から立ち去るしかないって納得できた。
それと、東京に来てしばらく私立の循環器専門病院を手伝ったことがある。高名な心臓外科医が作った病院だが、その息子というのが俺と同じ心臓内科の医者だった。少し年上だが俺と酷似していたんだよ。
おやじが息子に箔をつけさせようとアメリカに留学させたんだが、アメリカの医師免許制度と時代の関係で、向こうでは外科手術ができなかったんだ。それで俺と同じに内科的な医学・医術を修めて帰ってきた。
そいつは本当に品の良い、優しい奴で俺は大好きだった。だが、育ちが良過ぎて気が弱いのが欠点だった。俺みたいに『心臓は外科の時代じゃない。俺たちの時代だ』って平気な顔をしていられなかった。
そいつのおやじの病院は外科手術が売り物だったから、ろくなポストも与えられなかった。しかも頼りのおやじが突然亡くなってしまった。外科の医者たちは露骨に息子を邪険にして、気の弱い息子はノイローゼになってしまった。それでリハビリを兼ねて北海道の病院に転勤したんだけど、そこで自殺しちゃったんだ。
俺は無念で胸が張り裂けそうになった。ひと事じゃなかった。大学に残ってうつ病になった俺を思い浮かべたよ。あり得なかった。その代わり俺の性格としたら、この息子のように自分を責めて自殺するより、やはり教授を殺してただろう。
方法なんていくらだって考え出せたからな。この前地方の国立大学の医学部で毒殺事件があったけど、俺が考えたのと同じ薬だった。俺は自分が怖くなった」
麻生は何も言えなかった。
「けれど中田は人を殺さず、師弟関係を持たずに生きてきた」
(「9. 自らの深い欠陥に恐怖する」終わり。「10. 終章 それでも医者を続ける」へつづく)