風戸裕の短すぎた生涯[30]第9章 「裕、あと一息でF1」① 2015/12/27 猪瀬良一は’73年シーズン半ばに裕に起こった「事件」をおぼえている。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 当時のブラバムのF1チームオーナー、バーニー・エクレスト [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[29]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」③ 2015/12/18 いつか司令官になっていた風戸の海外出張は日本電子が上場した’62年、昭和37年から始まった。すでに海外支社はアメリカ、ヨーロッパ、ソ連にできており、やがて出張は年6回に及んだ。支社の設立目的は市場開拓、売り込み強化、代 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[28]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」② 2015/12/09 1955年(昭30)5月、高橋はやっとトリヤを日本へ連れてくることができた。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 トリヤ教授は多忙なスケジュールを精力的にこなし、 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[27]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」① 2015/11/29 1955年4月にツールーズで開催されたCNRS(フランス国立研究機構)主催の国際シンポジウム「電子光学における最近の技術的進歩」は日本の電子顕微鏡の世界的評価を不動のものとし、日本電子の世界進出を決定づけたシンポジウム [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[26]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑧ 2015/11/12 日本国内は決して気の抜けなかった’73年だったが、そんな裕にも不思議に安らぐ時間はあった。それは主に高原敬武との交流から生まれた。裕が山梨信輔の渋谷のRQ(レーシングクォータリー)に通い、タキレーシングに入る20歳の年 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[25]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑦ 2015/11/05 裕はまた一人で「にっぽん代表」と言い聞かせる。だが、9月16日のアルビグランプリ(フランス)でレース中エンジンが大きな音を発し、そのまま息の根を止めてしまった。ブロックになんと20cm四方もの大穴があいていた。シュニッ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[24]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑥ 2015/10/25 決勝では初めての好ポジションで気を良くし、ヒート1のスタートで猛ダッシュ、第1コーナーまでになんとトップに出ていた。ストレートでヨッヘン・マスに抜かれ、次のストレートでアンリ・ペスカロロにも抜かれ、3位のまま戻ってきた [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[23]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑤ 2015/10/18 レース翌日から裕はBMWエンジンをミュンヘンに送り、GC第2戦の対策を考え、新規スポンサーまわりに飛び歩いてから渡英した。次のホッケンハイムがGRD273・BDAの初舞台だったが、BDAエンジンが冴えず、最後方からのス [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[22]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」④ 2015/10/11 ‘73年(昭48)は第一次オイルショックの影響で日本のレース界も激動の年となった。’71年のニクソンショックによって1ドル360円が一気に1ドル約310円となり、ただでさえ輸出産業は大打撃を受けていたからだ。自動車メー [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[21]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」③ 2015/09/26 裕はレース界で定評のあったレーシングサービス社(RS)にエンジンチューンを依頼していた。 8月20日、イタリア、シシリー島のエンナサーキット。予選9位でスタート、第一ヒートは10位だったが、第二ヒートは、ついに5位入 [...続きを読む]