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魔都上海を巡る その16(最終回)「今も残る租界時代の味──上海の洋食」

 前回、フランス租界のヨーロッパ的な文化や雰囲気は亡命ロシア人たちが創りあげていったと書いたが、上海編最終回の今回は、彼らが上海に残していった料理──上海の洋食──について書こうと思う。

 日本の洋食は日本で独自に発展した西洋料理のことを指し、主にフランス料理やイギリス料理がその基となっているが、上海の洋食の場合はロシア料理がその基となっている。ただし、当時のロシア料理はフランス料理の影響を大きく受けて発展したものが多かったので、亡命ロシア人たちが上海に持ち込んだロシア料理は“ロシア風フランス料理”または“フランス系ロシア料理”ともいえないこともないだだろう。

 租界時代、上海の有名なロシア料理レストランは、多くがフランス租界の真ん中を東西に走るお洒落な通りである霞飛路(現在の淮海中路)とその周辺に並んでいた。当時は、大きなレストランでは演舞や音楽会なども開かれており、料理を味わうとともに、芸術も堪能することができたという。

 第二次世界大戦が終わり、租界もなくなって外国人が上海から去っていくにしたがって、ロシア料理レストランも次々に廃業していった。しかし、租界当時から創業していた洋食屋がその味と雰囲気を少しずつ変えつつも受け継ぎ、また、上海の家庭料理としても作られるようになっていった。

徳大西菜社。かつての共同租界にあたる、雲南南路と延安東路の交差点にある

徳大西菜社。かつての共同租界にあたる、雲南南路と延安東路の交差点にある


 上海には、租界当時からずっと続いている洋食屋が、今もいくつか残っている。その一つがここ「徳大西菜社」である。

 創業1897年。現存する上海の洋食屋のなかではもっとも古い。創業地は租界時代に日本人が数多く住んでいた虹口だが、今ではその店はなくなり、支店だけがいくつか残っている。かつてはすき焼きも看板メニューだったというから、日本料理の影響も受けていたのかもしれない。内装もクラシックで落ちついた雰囲気で、客層も中年以上、年配の人が多い
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 そして、この徳大西菜社で食べた、上海を代表する洋食がこれだ。
shanghai-16-4 日本でいうところのボルシチである。中国語では「羅宋湯」(ルォソンタン)といい、意味は「ロシアスープ」。ボルシチは材料に赤いビーツを使うのが本式だが、上海の羅宋湯にはトマトソースを使う。そのため濃厚な味わいのなかにわずかに酸味があり、食べていくうちに食欲が増してくる。

 ボルシチと並んでもう一つの代表的な洋食がこちら。
shanghai-16-5 見た目も味も、日本のポテトサラダとほとんど変わらないが、野菜がやや多めか。そもそもポテトサラダは、オリヴィエ・サラダと呼ばれて立派なロシア料理の一つ。野菜にはピクルスを使うところが日本や上海のポテトサラダとは違い、日本ではロシア風サラダなどとも呼ばれたりもしている。

 そしてこちらはビーフステーキ。
shanghai-16-6 まあこれは西洋料理としては定番である。ステーキに立てられているトルコの国旗は、最初は焼き具合を区別するためかと思ったのだが、調べるとそうでもないようで、特に意味がないと思われる。

 最後に、洋食に付き物のパン。
shanghai-16-7 コッペパンのような丸いバターロール。特に美味いというものではないが、これがないと洋食を食べた気がしないという人も。

 このランチ4点セットで、お値段は88元。日本円にして1800円弱。高い!!! さすがにランチで1800円は、日本の物価から見ても高い。でも最近の上海では、中心地のちょっと小洒落たレストランなんかでランチを食べたりすると、日本円にして1500円くらい平気でするから、上海の物価はかなり高くなっている。

 こんな高い金だしてまで上海の洋食を食べたくないという人には、もっと安い洋食もある。それがこちら。
shanghai-16-8 中国語で炸猪排(ヂャーヂューパイ)。いわゆるポークカツレツである。これで8元(160円)。流行っている店だと揚げたてが食べられる。これにウスターソースのようにサラサラの辣醤油をかけていただく。お味のほうは……まあ8元の味だ。

 これで上海編は終わりである。

 実を言うと筆者は、2009年に上海に1年間住んでいた頃、この街があまり好きではなかった。街はゴミゴミしているし、道路は狭くていつも渋滞。美味い食べ物も外国料理を除くとほとんどない。それはまだいいのだが、上海の人たちはよそよそしくてお高くとまっているし、ここにいる日本人ですら、広東省にいる日本人に比べてどこか気取っているように感じて好きになれなかった。

 しかしその5年後の2014年に、再び上海に1年間住むことになった。この1年間で上海のあちこちを一人で歩きまわり、町中で売っている小吃を食べているうちに、上海という街はけっこう面白いことに気づいた。やっぱり街を知るには、歩きまわるに限る。必ずその街の良さが見えてくるはずだ。

 とはいえ、ここに住む人たちに関しては、上海人にしても日本人にしても、その認識にあまり変化はない。

 さて次回からは、まだ場所を決めていないのだが、中国の別の都市を取り上げていく予定でいる。

About 佐久間賢三 (40 Articles)
週刊誌や月刊誌の仕事をした後、中国で日本語フリーペーパーの編集者に。上海、広州、深圳、成都を転々とし、9年5か月にもおよぶ中国生活を経て帰国。早稲田企画に出戻る。以来、貧乏ヒマなしの自転車操業的ライター生活を送っている。