風戸裕の短すぎた生涯[19]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」① 2015/09/14 「F2でF1への道を切り開くことに全精力を注ぎ込もう」。’71年後半、裕は決意した。 フォーミュラは動きがシビアなために、CAN-AMマシンとは比較にならない集中力を求められる。ある意味でローラT222が裕の体に染み込 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[18]第6章 「JEM型顕微鏡、輸出実現に苦しむ」② 2015/08/29 高橋は律義に手紙を書いていた。パリ大学の同じ研究室にいたデュルビルという人物が、高橋と日本の電子顕微鏡に非常に興味を持ち、何かというと遊びに来るようになった。「日本の電子顕微鏡はどこがいいんだ」。高橋は写真を見せてやり [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[17]第6章 「JEM型顕微鏡、輸出実現に苦しむ」① 2015/08/15 風戸は、できるものなら電子顕微鏡を輸出したいという気持を強く抱いていた。その夢の実現に不思議な形で主役を演じた一人が、風戸と奇妙な連帯感に結ばれるようになっていた山梨大学の高橋昇教授だった。’45年1月の空襲で甲府市の [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[16]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」④ 2015/08/03 数戦後のレースに、風戸健二の手紙が届いた。そこには日本と社会への貢献を第一義に考える父から息子への切望が記されていた。 《人間は誰もとる道は異なっても、狙いはその完成にあるわけで、この真の目的はしっかりと握って外さない [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[15]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」③ 2015/07/23 シボレーV8(8気筒)、8095㏄、725馬力エンジンをマウントしたお化けマシン・ローラT222は猪瀬たちの努力でギリギリ間に合った。裕は礼も忘れて、大丈夫なのか目で聞いた。力強く猪瀬が裕の肩を叩く。緊張した裕の体が幾 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[14]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」② 2015/07/09 CAN-AM挑戦がどんどん具体化していった。 《今日、親父と叔父の藤代氏と兄貴と俺の4人、それとお袋の5人で来年のレース計画および将来について話し合った。実際どれ位の投資(自分へのも含めて)をしてよいのか分からなかった [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[13]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」① 2015/06/29 15年後、1970年4月中旬の夜、風戸健二は珍しく早い時間に帰宅し、部屋で茶を飲んでいた。すると裕が顔をのぞかせた。 「お父さん。相談があるんだけど、いいですか」 「ああ。なにかな」 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[12]第4章 「高松宮に救われ続けた日本電子」② 2015/06/20 一方で風戸は新技術の導入に貪欲だった。電子顕微鏡の営業に回っていると、研究者の欲しがっている性能が明らかになる。そして日本電子(当時はなお日本電子光学研究所)は風戸自ら、その要求の意義を理解し、しかも技術的にもかなりの [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[11]第4章 「高松宮に救われ続けた日本電子」① 2015/06/13 裕の生まれた1949年早春、風戸たちは茂原の会社を明け渡してとりあえず東京に出たものの、何度も弱気になっては気力を奮い起こさなければならなかった。 「もう一度同じ道をたどらなければならないのが、なによりも気が重かった。 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[10]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」⑤ 2015/05/18 1969年(昭44)9月末、タキレーシングのチームメンバーが揃って富士スピードウェイで練習走行する日がきた。裕は初めてカレラ10をドライビングした。いままで裕が経験したことのないパワーを発揮するポルシェのエンジンは裕の [...続きを読む]