風戸裕の短すぎた生涯[23]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑤ 2015/10/18 レース翌日から裕はBMWエンジンをミュンヘンに送り、GC第2戦の対策を考え、新規スポンサーまわりに飛び歩いてから渡英した。次のホッケンハイムがGRD273・BDAの初舞台だったが、BDAエンジンが冴えず、最後方からのス [...続きを読む]
vol.26「ノーベル賞受賞者の、おカネとか夫婦愛とか」 2015/10/13 今年の医学生理学賞は山梨出身の大村智さん。若い時代には大学職員の給料を全部資料購入に使って、家計は奥さんがそろばん塾を開いて賄っていたと、逸話が残る。ところが伊豆の土から合成薬を発見し、それを特許(アメリカの製薬会社と [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[22]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」④ 2015/10/11 ‘73年(昭48)は第一次オイルショックの影響で日本のレース界も激動の年となった。’71年のニクソンショックによって1ドル360円が一気に1ドル約310円となり、ただでさえ輸出産業は大打撃を受けていたからだ。自動車メー [...続きを読む]
訪日外国人の急増を喜ぶ前に、心配するべき日本人のビミョーな変化 2015/10/09 「ネットを見れば外国のことは分かるから、行く必要はありませんよね」 そんな意味のことを若い人に言われて、仰天したことがある。その人は外国に行ったことがない人だった。ひょっとして海外に行く余裕がないからそう思うことにして [...続きを読む]
TPPなんて関係ない 爆買いから見える暴力団への依存 2015/10/06 国慶節(10月1日)の連休中も、繁華街の家電量販店やドラッグストアで中国人風の客をよく見かけた。中国人の爆買いが下火になったという報道もあるが、見た感じまだまださかんな気がするのは私だけ? ドラッグストアでパックを爆買 [...続きを読む]
移民都市・深圳をゆく その2「香港と大陸側を結ぶ出入口──口岸(前編)」 2015/09/28 深圳と香港は川をはさんで陸地でつながっているものの、その間にある“国境”を自由に行き来することはできないということを前回書いた。そこで今回と次回の2回に分けて、通り抜けるにはパスポートや通行証が必要な、深圳と香港の間に [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[21]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」③ 2015/09/26 裕はレース界で定評のあったレーシングサービス社(RS)にエンジンチューンを依頼していた。 8月20日、イタリア、シシリー島のエンナサーキット。予選9位でスタート、第一ヒートは10位だったが、第二ヒートは、ついに5位入 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[20]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」② 2015/09/20 10戦目、イタリア・モンツァのノンタイトル戦では、風戸と瑞枝が観戦した。 初めのうち、レースになじむ事ができない風戸だったが、裕のマシンを確認するためにレースの流れを理解し、裕の順位も自然に分かるようにはなっていた。 [...続きを読む]
vol.4「彼岸では終わらない抗議のあつさ」 2015/09/17 あまりにも暑い日が続くから、なかばその腹いせに『夏だけ連載・とってもあついので』としてはじめた連載だったのだが、たしかに猛暑日の連続記録は塗り替えられたものの結局は冷夏なのだという。実際それ以降、暑さに苦しめられた記憶 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[19]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」① 2015/09/14 「F2でF1への道を切り開くことに全精力を注ぎ込もう」。’71年後半、裕は決意した。 フォーミュラは動きがシビアなために、CAN-AMマシンとは比較にならない集中力を求められる。ある意味でローラT222が裕の体に染み込 [...続きを読む]