風戸裕の短すぎた生涯[25]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑦ 2015/11/05 裕はまた一人で「にっぽん代表」と言い聞かせる。だが、9月16日のアルビグランプリ(フランス)でレース中エンジンが大きな音を発し、そのまま息の根を止めてしまった。ブロックになんと20cm四方もの大穴があいていた。シュニッ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[24]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑥ 2015/10/25 決勝では初めての好ポジションで気を良くし、ヒート1のスタートで猛ダッシュ、第1コーナーまでになんとトップに出ていた。ストレートでヨッヘン・マスに抜かれ、次のストレートでアンリ・ペスカロロにも抜かれ、3位のまま戻ってきた [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[23]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑤ 2015/10/18 レース翌日から裕はBMWエンジンをミュンヘンに送り、GC第2戦の対策を考え、新規スポンサーまわりに飛び歩いてから渡英した。次のホッケンハイムがGRD273・BDAの初舞台だったが、BDAエンジンが冴えず、最後方からのス [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[22]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」④ 2015/10/11 ‘73年(昭48)は第一次オイルショックの影響で日本のレース界も激動の年となった。’71年のニクソンショックによって1ドル360円が一気に1ドル約310円となり、ただでさえ輸出産業は大打撃を受けていたからだ。自動車メー [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[21]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」③ 2015/09/26 裕はレース界で定評のあったレーシングサービス社(RS)にエンジンチューンを依頼していた。 8月20日、イタリア、シシリー島のエンナサーキット。予選9位でスタート、第一ヒートは10位だったが、第二ヒートは、ついに5位入 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[20]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」② 2015/09/20 10戦目、イタリア・モンツァのノンタイトル戦では、風戸と瑞枝が観戦した。 初めのうち、レースになじむ事ができない風戸だったが、裕のマシンを確認するためにレースの流れを理解し、裕の順位も自然に分かるようにはなっていた。 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[19]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」① 2015/09/14 「F2でF1への道を切り開くことに全精力を注ぎ込もう」。’71年後半、裕は決意した。 フォーミュラは動きがシビアなために、CAN-AMマシンとは比較にならない集中力を求められる。ある意味でローラT222が裕の体に染み込 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[18]第6章 「JEM型顕微鏡、輸出実現に苦しむ」② 2015/08/29 高橋は律義に手紙を書いていた。パリ大学の同じ研究室にいたデュルビルという人物が、高橋と日本の電子顕微鏡に非常に興味を持ち、何かというと遊びに来るようになった。「日本の電子顕微鏡はどこがいいんだ」。高橋は写真を見せてやり [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[17]第6章 「JEM型顕微鏡、輸出実現に苦しむ」① 2015/08/15 風戸は、できるものなら電子顕微鏡を輸出したいという気持を強く抱いていた。その夢の実現に不思議な形で主役を演じた一人が、風戸と奇妙な連帯感に結ばれるようになっていた山梨大学の高橋昇教授だった。’45年1月の空襲で甲府市の [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[16]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」④ 2015/08/03 数戦後のレースに、風戸健二の手紙が届いた。そこには日本と社会への貢献を第一義に考える父から息子への切望が記されていた。 《人間は誰もとる道は異なっても、狙いはその完成にあるわけで、この真の目的はしっかりと握って外さない [...続きを読む]