風戸裕の短すぎた生涯[35]最終章 「父子、その生き方」① 2016/02/24 裕がCAN-AMに出場している1971年(昭19)8月19日、ニクソンショックの折、風戸は裕に書き送った手紙に記している。 《裕君 日本は8月15日、ニクソン大統領の「緊急ドル防衛対策」発表により、大変な経済問題に当面 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[34]第9章 「裕、あと一息でF1」⑤ 2016/02/15 17台のレーシングカーが地響きを上げて、バンクを流れるように行進するのは迫力じゅうぶんだ。振動がいつまでも続き、後には濃い白煙が立ち込めた。 アナウンサーが状況を説明する声が流れているが、スピーカーがサーキットのあち [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[33]第9章 「裕、あと一息でF1」④ 2016/01/26 1974年(昭49)6月2日、「富士グラン300km」の日を迎え、富士スピードウェイには5万を超える大観衆が詰め掛けた。 標高1000メートル以上の高原は真夏のような太陽が照りつけ、選手紹介でコントロールタワー前のコ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[32]第9章 「裕、あと一息でF1」③ 2016/01/21 予選も、ドライバーズミーティングも刺々しく、本番のレースでもイチかバチか、とんでもないことをする者が出そうだった。ドライバーには速い者やカテゴリー別の第一人者はいたけれど、ドライバーの組織は機能せず、ドライバーをまとめ [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[31]第9章 「裕、あと一息でF1」② 2016/01/07 私は裕のシェブロンNo.2の決定を大きな驚きで聞いた。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 F2の成績しか知らず、現地の雰囲気や途中のいきさつを知らず、なぜ成功し [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[30]第9章 「裕、あと一息でF1」① 2015/12/27 猪瀬良一は’73年シーズン半ばに裕に起こった「事件」をおぼえている。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 当時のブラバムのF1チームオーナー、バーニー・エクレスト [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[29]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」③ 2015/12/18 いつか司令官になっていた風戸の海外出張は日本電子が上場した’62年、昭和37年から始まった。すでに海外支社はアメリカ、ヨーロッパ、ソ連にできており、やがて出張は年6回に及んだ。支社の設立目的は市場開拓、売り込み強化、代 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[28]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」② 2015/12/09 1955年(昭30)5月、高橋はやっとトリヤを日本へ連れてくることができた。 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故死したレーサー。 風戸健二=その父。日本電子創業社長。 トリヤ教授は多忙なスケジュールを精力的にこなし、 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[27]第8章 「電顕輸出に成功 世界シェア30%」① 2015/11/29 1955年4月にツールーズで開催されたCNRS(フランス国立研究機構)主催の国際シンポジウム「電子光学における最近の技術的進歩」は日本の電子顕微鏡の世界的評価を不動のものとし、日本電子の世界進出を決定づけたシンポジウム [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[26]第7章 「裕、不運な低迷の中でも輝きを放つ」⑧ 2015/11/12 日本国内は決して気の抜けなかった’73年だったが、そんな裕にも不思議に安らぐ時間はあった。それは主に高原敬武との交流から生まれた。裕が山梨信輔の渋谷のRQ(レーシングクォータリー)に通い、タキレーシングに入る20歳の年 [...続きを読む]