風戸裕の短すぎた生涯[15]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」③ 2015/07/23 シボレーV8(8気筒)、8095㏄、725馬力エンジンをマウントしたお化けマシン・ローラT222は猪瀬たちの努力でギリギリ間に合った。裕は礼も忘れて、大丈夫なのか目で聞いた。力強く猪瀬が裕の肩を叩く。緊張した裕の体が幾 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[14]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」② 2015/07/09 CAN-AM挑戦がどんどん具体化していった。 《今日、親父と叔父の藤代氏と兄貴と俺の4人、それとお袋の5人で来年のレース計画および将来について話し合った。実際どれ位の投資(自分へのも含めて)をしてよいのか分からなかった [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[13]第5章 「裕、会社設立、海外レースに挑戦」① 2015/06/29 15年後、1970年4月中旬の夜、風戸健二は珍しく早い時間に帰宅し、部屋で茶を飲んでいた。すると裕が顔をのぞかせた。 「お父さん。相談があるんだけど、いいですか」 「ああ。なにかな」 【登場人物】 風戸 裕=フジで事故 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[12]第4章 「高松宮に救われ続けた日本電子」② 2015/06/20 一方で風戸は新技術の導入に貪欲だった。電子顕微鏡の営業に回っていると、研究者の欲しがっている性能が明らかになる。そして日本電子(当時はなお日本電子光学研究所)は風戸自ら、その要求の意義を理解し、しかも技術的にもかなりの [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[11]第4章 「高松宮に救われ続けた日本電子」① 2015/06/13 裕の生まれた1949年早春、風戸たちは茂原の会社を明け渡してとりあえず東京に出たものの、何度も弱気になっては気力を奮い起こさなければならなかった。 「もう一度同じ道をたどらなければならないのが、なによりも気が重かった。 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[10]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」⑤ 2015/05/18 1969年(昭44)9月末、タキレーシングのチームメンバーが揃って富士スピードウェイで練習走行する日がきた。裕は初めてカレラ10をドライビングした。いままで裕が経験したことのないパワーを発揮するポルシェのエンジンは裕の [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[9]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」④ 2015/04/07 コーヤマスペシャルは1969年8月10日のNETスピードカップレースを次の戦いの場と決めて準備を進めていたが、エンジンがどういじっても調子が悪い。手直しするには、部品をいくつか現金で買い集めなければならなかった。2~3 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[8]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」③ 2015/03/27 裕と風戸は初めて向き合い、レースについて話し合った。風戸は頭ごなしに「レースをやめろ」 とは言わないが、危険の伴うレースには反対であることを明言した。「今は学生として勉強に身を入れるときではないか。現在の過ごし方では将 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[7]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」② 2015/03/04 当時風戸は海外の営業基地建設で海外出張が増え、子どもたちと顔を合わせることもめったにないほどになっていた。そのため、旅先から、思いついては子どもたち一人一人に、あるいはまとめて、絵葉書を出すようになった。たとえば’64 [...続きを読む]
風戸裕の短すぎた生涯[6]第3章 「裕、自動車レースに魅かれる」① 2015/02/17 東京に出たものの、風戸たちはそれまで以上の苦労を味わうのだが、その苦難のさなか、1949年(昭24)3月13日、風戸は第3子・次男・裕(ひろし)を授かった。家には寝に帰るだけの日々だったが、赤ん坊を抱いた風戸は、ふっと [...続きを読む]